指揮者山田和樹さんが日経新聞で次のように語っていた。デジタル社会は便利だけれど、無条件には受け入れたくない気持ちがどこかにあると。紙と鉛筆の質感にこだわりたいというのである。なぜなら、音楽は人間の生きている証であり、紙や鉛筆のように儚いものだから。”美は限りあるものにこそ宿る”と氏は書いている。(日経 2019.9.9夕)

このことは、音楽の世界ばかりでなく、書にも同様のことがいえるのだろう。

今の社会では、人間の活動は、その多くは言語化され、直ちにワープロで書き残すことができる。入力は簡単であり、修正もたやすい。文章の巧拙はあるものの字は均一で整っている。意味を伝えるだけならワープロで十分である。わざわざ下手くそな手書きの字を晒すこともない。

一方、書は習得に極めて多くの時間と訓練が必要である。では、なぜ書なのか。

それは、文字や文章が伝える意味を超えた何かを伝えることができるからに違いない。人間は言葉によって励まされ、勇気づけられる。また、言葉によって傷つけられ叩きのめされることも少なくない。言葉にはそれだけ力がある。書はその言葉を筆遣いによって印象を変え、あるいは意味を深めて相手に伝えることができる。しかも、二度と同じ書はかけない。日頃からの鍛錬と構想そしてその時のひらめきによって偶然できる造形なのである。”美は限りあるものにこそ宿る”といえる。

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